数学は、多くの人にとって「得意」「苦手」がはっきり分かれる教科ではないでしょうか。なぜ学ぶのか、どう役立つのかが見えにくいと感じる高校生も多いでしょう。しかし、「数学はただ解くだけのものではなく、考え方そのものを鍛えることもできる学問です」と語るのが、岩手大学の佐藤寿仁(さとう・としひと)先生です。
佐藤先生は、中学校で17年間の教員経験を経て、現在は数学教育の研究者として活躍しています。現場での指導経験と研究の視点を併せ持つ立場から、「これからの時代に求められる数学教育」について日々探究を続けています。
本インタビューでは、数学教育の意義や課題、そして未来の教育に求められる変化について伺いました。数学に苦手意識を持つ高校生や、将来教育の道を考えている人にとって、学びのヒントとなる内容です。
目次
数学教育とは?
― まず、先生のご専門である数学教育についてですが、これはどのような研究分野なのでしょうか?
佐藤先生:
数学教育は、教育学の中の教科教育学の一分野です。名前の通り、子どもたちが算数や数学を「なぜ学ぶのか?」を追求したり、それによって「どのような力が身につくのか?」を研究する分野です。また、それを指導する教師の指導法の研究も重要なテーマとなります。特に私の研究では、数学そのものの内容だけではなく、教師がどのような算数・数学の授業をすれば、子どもたちがより深く理解し、効果的に学習できるのかといったメカニズムについても探求しています。
数学教育における指導法の研究
― 先生の研究では、特に教師の指導法に焦点を当てているとのことですが、具体的にはどのようなことを研究されているのでしょうか?
佐藤先生:
私は、単に「数学の内容を教える方法」ではなく、教師の指導法そのものを研究しています。つまり、どのように授業を設計すれば、子どもたちがより深く理解し、主体的に学ぶことができるのかを考えることが大きなテーマです。
また、授業の中で生徒が「理解しているかどうか」を見極めるポイントや、子どもが数学に対して持つ認識の変化なども分析対象となります。
学校現場から研究の道へ
― 先生は元々、中学校の数学教員をされていたとお伺いしております。そこから大学で研究を行う道に進まれたきっかけは何だったのでしょうか?
佐藤先生:
はい、私は中学校の教員として17年間勤務し、様々な学校で数学の教科指導してきました。公立校、大学附属校など、異なる環境の中で多くの子どもたちと関わる機会がありました。
その中で感じたのが、これからの時代に求められる数学教育は、単なる「知識の詰め込み」では通用しないということです。
従来のように「知識を教え込む」スタイルの授業ではなく、子どもたち自身が考え、問題を解決する力を養うことが求められています。そのためには、教師自身も授業のあり方を変えていく必要があるのではないかと考えるようになりました。
こうした問題意識を持つようになったことが、研究を志した最初のきっかけです。
また、今は大学に所属しており、教育を志す学生たちと関わる機会があります。彼らは将来の教師として教壇に立つわけですが、単に目の前の授業をこなすのではなく、これからの日本の教育をどう変えていくかまで考え実を育てたいという思いを持ち、現在の研究を続けています。
社会の変化と数学教育の必要性
― 確かに、社会は急速に変化していますし、そういった問題解決の力は重要になってきますね。具体的に、先生が特に危機感を抱いた社会の変化や出来事はありますか?
佐藤先生:
そうですね。私が特に強く意識するようになったのは、2008年頃のPISA調査(国際学力調査)の結果を見たときです。日本の子どもたちは数学のスコアは高いものの、「数学が好きか?」と聞かれると「好きではない」と答える割合が非常に高いという結果が出ていました。
数学の成績は良いのに、役に立つと感じていない。これは海外の子どもたちにはあまり見られない傾向です。特に高校生になると、数学が好きな生徒と、全く興味が持てず「数学なんてもう見たくもない」と感じる生徒がはっきり二極化してしまいます。
この状況を見たときに、「このままでは、日本の教育構造そのものが、グローバル社会で戦えなくなるのではないか?」という危機感を抱くようになりました。
現在の教育のままでは、単に「与えられた情報を覚えるだけの人間」になってしまい、問題を自分で考え、解決していく力を育てることができないのではないかと思ったのです。
また、東日本大震災の経験も、教育の在り方について考える大きなきっかけとなりました。私は岩手にいたので、震災を直接経験しました。そのときに感じたのは、「何が起こるかわからない」という現実です。
ただ、重要なのは、起きた出来事そのものではなく、そのときに人間がどのように知的に行動できるかということです。災害時の対応一つとっても、状況を正しく判断し、冷静に行動できる人と、そうでない人の差が大きく出ることを実感しました。
この経験から、やはり教育には大きな責任があると感じました。知識を詰め込むだけではなく、状況を的確に判断し、賢く行動する力を育てることが、教育の役割であるべきだと強く思うようになりました。
数学教育が育む「考える力」
― そうすると、数学教育は単に計算ができるようになることではなく、もっと広い意味で「考える力」を育てるものなのですね。
佐藤先生:
その通りです。数学ができるようになること自体ももちろん重要ですが、それ以上に、数学を通じて「どのように考えれば問題を解決できるのか」を学ぶことが大事です。
単に公式を覚えて計算するのではなく、「どうすればこの問題を解決できるのか?」という視点を持つことが、これからの時代に求められる力になっていくと思います。
数学嫌いの原因と教育の課題
― 数学が苦手、あるいは嫌いになる生徒が多いと言われていますが、先生の研究や調査の中で、どのような要因が関係していると考えられますか?
佐藤先生:
これはいろいろな要因が考えられるのですが、特に大きいのは「学習評価のあり方」だと思います。
学校教育の現場では、どうしても「正しい答えを出すこと」に重きが置かれがちです。たとえば、数学の問題で「答えが3」と決まっている場合、どれだけ考え抜いたとしても、3と書かなければ正解にはなりません。
しかし、実際の大学受験の試験問題を見ていると、答えだけでなく、その過程や考え方を重視するものが増えているんですね。採点していると、こちらが驚くような発想をしている生徒がいたりします。これはまさに、数学の「考える力」を示している良い例ですが、日常の授業ではこうした「過程」を評価する仕組みがまだまだ不足していると感じます。
また、授業の現場でも、子どもたちは「答えを求めること」ばかりに意識を向けてしまい、「どう解くか」について深く考える経験が少ないのではないかと思います。
私は小中学校の授業をよく見に行くのですが、子どもたちは「答えを求める力」は持っているものの、「解き方を試行錯誤する力」や「問題を分解して考える力」があまり育っていないと感じることがあります。
つまり、単に「数学ができるかできないか」の話ではなく、そもそも「問題解決にどのようにアプローチしていくか」という思考プロセスが十分に育っていないのではないか、というのが私の考えです。
数学的思考と社会での応用
― なるほど。確かに、学校の数学ではとにかく「正解を出す」ことが特に重視されているように感じます。しかし、実際の社会では、ゴールにたどり着く方法は一つではないですよね?
佐藤先生:
まさにその通りです。社会に出れば、正しい道筋が一つしかない問題というのはほとんど存在しません。
しかし、学校教育では「唯一の正解を求める」ことが強調されすぎてしまっているため、数学が苦手な子どもたちは「正解を出せない自分は数学に向いていない」と思ってしまいがちです。
本来、数学は「考え方の多様性」を学ぶための学問でもあるのですが、その本質が十分に伝わっていないのが課題ですね。
たとえば、数学の問題を解く際にも、「解法は一つではない」ことをもっと意識させるような指導が必要だと思います。
「こう解いてもいいし、別のアプローチでもたどり着ける」という経験を積むことで、子どもたちは数学を「自由に考えるためのツール」として捉えることができるようになるのではないでしょうか。
ICTと数学教育の未来
― ここまでのお話から、手計算だけではなく、新技術の活用やツールの導入も重要なテーマではないかと思いました。数学教育におけるICTの活用についてはどのような状況でしょうか?
佐藤先生:
日本では「GIGAスクール構想」により、義務教育では1人1台の端末が配備されるなど、ICTの導入が進んでいます。ただ、高校に関しては端末費用の負担問題などがあり、まだ課題も多いですね。数学教育に関して言えば、関数やグラフ、図形のシミュレーションをパソコン上で動かしてみたり、エクセルを使ってデータを処理したりといった活用が考えられます。
ただ、ここで大事なのは「計算をできるようになること」ではなく、「数学を用いた問題解決」を学ぶことです。例えば、微分や積分を必死に計算すること自体が目的になってしまい、実際の活用方法がわからないという現状があります。海外では、数学のアプリを活用し、手書きの数式をスマホで撮影すると自動的に計算してくれるツールなどが普通に使われています。日本ではこうしたツールを「あたかもズルをするもの」として見てしまいがちですが、本来は「問題解決のためにどう使うか」が重要なはずです。
― 日本では新しい技術に対して慎重になりがちな傾向があるのでしょうか?
佐藤先生:
その傾向はあると思います。例えばAIもそうですが、大人は普通に使っているのに、子供たちには「まだ早い」「使ってはいけない」と制限してしまうケースが多いでしょう。教師側にも「AIが普及すると自分たちの仕事がなくなるのではないか」という漠然とした不安があり、それが子供たちの学びを制限する方向に働いてしまっているのかもしれません。
しかし、世界は確実に変化しています。数学教育においても、単なる計算力ではなく、「数学を活用してどう問題解決するか」を学ぶ必要があります。そのためにも、ICTの活用は不可欠だと思います。
― 数学教育の未来を考える上で、ICTの活用は避けて通れないということですね。
佐藤先生:
はい。数学教育だけでなく、教育全体に言えることですが、これからの時代は「情報を知っている」だけではなく、「どう活用するか」が問われます。AIを含む新しい技術を適切に使いこなす力を育てることが、これからの教育の大きな課題ですね。
数学教育の未来と学問の楽しさ
― 数学を教えることに加えて、数学教育を研究することの重要性についてお聞かせください。
佐藤先生:
そうですね。数学を教えること自体も重要ですが、それだけではなく「数学をどう教えるか」「教育全体をどう設計するか」を考えることも大切です。教育というのは、ただ知識を伝えるだけではなく、その仕組みを考え、より良い方法を探ることも含まれます。数学教育を専門に学ぶことで、授業の進め方だけでなく、教育の仕組みを作る側にもなれるのです。
私は時々、高校生向けの出前授業を行っていますが、ぜひ高校生の皆さんにも「教育を作る側に立つ」という視点を持ってもらいたいですね。受けるだけではなく、教育そのものを設計することにも興味を持ってほしいと思っています。
算数が嫌いだった少年時代と進路選択
― ところで、先生は学生の頃から数学関連の道を志されていたのでしょうか?
佐藤先生:
実は、私はもともと算数が嫌いでした。学生の前で話すと驚かれるのですが、ドリル学習が苦手で、同じことを繰り返すのが嫌いでした。当時の教育は「決められた答えを出すこと」が重視され、私には合わなかったんです。でも、高校に入って数学の面白さに気づきました。
高校時代は、数学の研究をしたいという気持ちと、教えることの楽しさを感じる気持ちの間で揺れ動いていました。友達に数学を教えると「わかりやすい!」と言ってもらえることが多く、教員になる道も良いかもしれないと考えるようになりました。高校2年生の頃に進路を決める際、理学部に進んで数学を研究するか、教育学部に進んで教員になるか悩みましたが、最終的には地元・岩手で教員として働く道を選びました。
高校数学の面白さを教えてくれた先生の影響
― 高校数学の面白さに気づかれたきっかけは何だったのでしょうか?
佐藤先生:
それは間違いなく、高校の数学の先生の影響ですね。私の高校の先生は、授業でよく「どういう筋道でこの問題を解いたのか?」と問いかけてくれる人でした。ただ答えを求めるのではなく、考え方を大切にしていたんです。それがすごく楽しくて、考えること自体に面白さを感じるようになりました。
もう一つ、私にとって印象的だったのは、その先生が時々「圧倒的な数学の力」を見せてくれたことです。黒板に高度な数学をスラスラと書きながら「こういう世界もあるんだぞ」と見せてくれたんですね。正直、私は全然ついていけなかったんですが、それがすごくかっこよくて、「数学ってこんなに奥深いんだ」と憧れるきっかけになりました。
高校数学と受験対策のバランス
― 高校の数学教育では、受験対策と数学の楽しさをどう両立するかが課題になりそうですね。
佐藤先生:
本当にその通りですね。共通テストや大学受験に向けた勉強はもちろん大事ですが、それだけになってしまうと、数学の本来の楽しさが伝わりにくくなります。
私の高校の先生は、そのバランスをとるのがとても上手でした。受験対策の時期には徹底的に試験対策をする一方で、そうでない時期には数学の奥深さや面白さを見せてくれました。特に印象に残っているのは、3年生の最後の授業で言われた言葉です。
「勉強はもうこれで終わりだ。君たちは来年から学問をやるんだよ。」
この言葉は、今でも強く心に残っています。大学に入ると、ただの勉強ではなく「学問」としての数学を学ぶことになる。そう言われたことで、大学での学びに対する意識が大きく変わりましたね。
数学教育を志す高校生には、ぜひ「数学を教える」ことの面白さだけでなく、「数学を学ぶ」「数学を使う」という視点も持ってもらいたいと思います。
研究の本質は「創造すること」
― 最後に、先生にとって研究することの一番の楽しさとは何でしょうか?
佐藤先生:
それは「創造すること」ですね。これに尽きます。研究をする上では、必ずしも思い通りにいくとは限りません。特に私のように、教育という人間を相手にする分野では、機械や自然科学のようにシンプルな法則だけでは説明がつかないことも多いです。それでも、試行錯誤を重ねていくうちに、先生が「こうすればもっと子供たちが理解できるんだ」と気づいたり、子供たちの思考のプロセスが見えてきたりする。そういう発見があるからこそ、研究はやめられないんです。
「こういう授業を作ったらどうなるだろう?」「こういう教育方法なら、もっと効果が上がるかもしれない」と、常に創造し続けること。これは研究の原点だと思いますし、それがあるからこそ、新しい教育の形を生み出せるのだと思います。
― 本日は貴重なお話をありがとうございました!
まとめ
佐藤先生は、学問の魅力を「創造すること」だと語ります。数学の楽しさを伝えるためには、ただ知識を詰め込むのではなく、「なぜ学ぶのか」「どう活用できるのか」を考えさせる教育が必要です。
中学校の教員としての経験を経て、研究の道に進んだ佐藤先生。その原動力は、「これからの時代に必要な教育とは何か」を追求し続ける探究心にあります。ICTやAIが発展する中で、教育も変わらなければなりません。数学をただ「解くもの」として捉えるのではなく、社会の問題を解決するための手段として活用できるような学びが求められています。
数学教育を研究し続ける佐藤先生の言葉は、これから学びの道を進む高校生たちにとって、大きなヒントになるのではないでしょうか。