「どうして日本人はそんなに英語を話せないのか」
私が海外留学中に多分いちばん多く聞かれた質問です。
日本へ旅行経験のある海外の友人は、知る限りほぼ全員が「日本人は親切でいい人たちだけど、英語が全然話せないのがね」という感想を抱いたようです。
ちょっと悔しい気もしますが否定できない部分でもあります。
* * *
私はこれまでにアメリカとフランスの2カ国へ海外留学し、英語とフランス語を学びました。
英語もフランス語も、堪能とまではいかなくても、少なくとも意思疎通できる程度には心得があるつもりです。
実は英語よりもフランス語を先に好きになったクチで、はじめにフランスに留学してフランス語を先に習得しました。すでに学校教育の中で英語に接していたわけですが、特に英語が話せたわけではありません。
フランスへ留学した当初は、とにかく英語で話すことを拒否しようとしてフランス語ばかりやっていました。
英語の話せない日本人。しかしその「話せない」のニュアンスは少し複雑です。
きっと多くの日本人は、10代から英語を学んでいて、英文はわりと読める、理解できる、しかし「話せない」という状況なのではないでしょうか。
なぜ、日本人は英語を話せない、と思われてしまうのでしょうか。
今回は個人的な留学体験と学習経験と照らし合わせてみて、思うところを少し自由に述べてみたいと思います。
目次
語学学習の「意義」を改めて見つめ直そう
外国語が必須ではないという考え方もできる
日本語圏(=日本)は言語環境としてもかなり恵まれています。普段生活している限りでは「英語が話せないと死活問題」というような局面にはまず出会いません。
日本という国の中で、日本人コミュニティの中で生きていくのであれば、正直いって、他国の言語を扱う必要はまったくないまま暮らしていけてしまいます。
そんな環境ですから「なぜ母国語以外の語学を学ばなければならないのか」という疑問が湧いたり、英語学習に不熱心だったりするのも、ある意味しかたありません。
海外の人々とコミュニケーションを取る必要がある場合にも、今の世の中では「外国語不要論」が主張できそうな状況になりつつあります。
必要があれば翻訳業者に翻訳をお願いすれば事足りる、さらに昨今では、IT技術も進んできたおかげで、ウェブ上で無料で提供されている機械翻訳もなかなかの精度で訳文を提示してくれます。
会話を外国語に翻訳して音声化してくれる「同時通訳」アプリなども登場しており、英会話能力すら不要になる日も近づきつつあります。
今から英語を頑張って勉強し、将来そこそこ習熟した頃には、すでにビジネス文書も英語でなく自国語で大丈夫……なんて時代が到来している可能性もなくはないのです。
でも外国語はコミュニケーションツールとしては外国語は必要
外国語が不要かもしれないという見方を敢えて挙げてみましたが、個人的には外国語を話せるスキルは必要と感じています。
私はそれを、シンプルに、人と人の直接のコミュニケーションのためと捉えています。
コミュニケーションというのは人と人との会話を通じて成り立つものです。いくら自分が言葉の読み書きに習熟していても、歌うように朗々と話すことができても、それだけではコミュニケーションは成立しません。
私は日本で生まれ育ち、中学では英語を第一外国語に、高校では第一外国語としてフランス語を選択しました。ある程度「読み書き」できるようになり、最低限の基礎会話はできるようになったつもりでいました。
でも、いざ海外留学して現地に足を踏み入れてみると、それまで培ってきたはずの言語能力を駆使しても全く自分の意思が伝わらないことに愕然とさせられました。このときの衝撃は今でも忘れられません。
以来、言葉は単語で意味を表す記号のようなものではなく、人と対面したときに「何を」「どう」伝えるのか(また、「何が」「どう」「伝わる」のか)を決定づける、使いこなすべきコミュニケーションツールとして捉えるようになりました。
この個人的体験に照らして考えると、多くの「英語が話せない日本人」は、「読み書きする」ことにとらわれ過ぎていて、あるいは言葉を記号のようなものとして捉えていて、「言葉を使って意思を伝える」という部分に対する意識が希薄なのでは、という思いに駆られます。
言葉は使えば使うほど使えるようになる
私は、この海外留学の最初の「洗礼」体験がきっかけとなって、「使える外国語」を意識して勉強に取り組むようになりました。
それで実際に自分が話して伝えることに成功すると、それこそ世界が一変するかのような気持ちがしたものです。
相手との会話の幅はぐっと広がり、逆に相手との心の距離はぐっと縮まります。
簡単な会話ができる程度のレベルでも、雑誌やテレビから得られる情報、あるいは街中でふと得られる情報や知識のは、量も理解度も格段に向上します。
こうした「使う言葉・使える言葉」は、学校の授業や机で参考書に向かうタイプの勉強だけではなかなか身につきにくいものでもあります。実践向きの英語を身につけるには、やはり実践が必要なのではと思います。
外国語として「英語」を学ぶ意義とは
日本の語学教育で「外国語」といえば基本的には英語が第一に念頭に置かれます。
英語が外国語の中心に据え置かれる理由として、まずは世界公用語としての位置づけを確立しているという点が挙げられます。加えて、個人的には「英語は比較的簡単な言語」という側面があるのではと考えています。
公用語としての他言語の位置づけ
グローバルに用いられている言語、という観点で捉えるなら、該当する言語は英語ばかりとは限りません。国連(国際連合)で公用語として採用されている言語も英語、フランス語、およびスペイン語・中国語・ロシア語・アラビア語の6種あります。
フランスの中等教育では、第2外国語の選択肢は必ずしも英語ではなく、ドイツ語を選択することも可能です。日本の高校にあたる学年からは、第3外国語として、英語、ドイツ語、イタリア語、スペイン語、日本語、中国語、韓国語などを学ぶ機会が設けられています。裏を返せば、英語をあえて選択しない学び方も可能なのです。
欧州人はトリリンガル?
ちなみに、フランス留学中に出会ったヨーロッパ人はたいてい少なくとも3言語を話せる人ばかりでした。
日本では自分のように日本語・英語・フランス語と3カ国語を一通り読み書きできる人はそう多くなく、語学力は自分にとってちょっとした自信につながっていました。それがこっちでは当たりまえのスキルであって、それどころか3カ国語なんで下の下のラインだったと知ったとき、そのとき胸に去来した心持ちは、ちょっと言葉では表せません。
でも、彼らの話す外国語が文法的に正確に扱われているかどうかというと、必ずしもそうとはいえません。意外とメチャクチャな文章を平気で放っていたりします。でも通じることは通じるのです。
英語は比較的簡単という見方もできる
フランス語やスペイン語を使った会話ではべらぼうな文法で話す人も、英語に関してはかなり正確な(と思われる)文法や発音を駆使してコミュニケーションを取り合っていた印象でした。
これは英語が文法的に比較的シンプルな言語だからという要素が大きいように思います。
英語は「時制」の数も、「代名詞」の数も、さらにテクニカルな文法要素も、他の西欧諸言語に比べて少ないという特徴があります。それだけに取っつきやすい言語でもあるのです。
フランス語は文法が難解な言語です。時制の種類は10コ弱に上り、代名詞も8種類、それらと連動して動詞は活用・変化する、なぜか名詞や形容詞に「性」が付きまとう……(名詞の性は謎だらけです。消しゴム la gomme が女性名詞など)。
ことフランス語に関して言えば、会話の中で文法的に完璧なフランス語を扱えている人はめったに出会うことがありませんでした。
なぜ日本人は英語を話せないのか
「積極的に話そうとしない」「正確さを求めすぎる」
英語は言語としては比較的かんたんな部類に含められます。しっかり学習に取り組めば、話せるようにならないハズがありません。
それでも日本人が英語を話せるようにならない、その理由は、半ば国民性ともいえる「消極性」と「完璧志向」にあるのではないでしょうか。
日本国内で普通に生活している限り、英会話が必要となる場面にはほとんど遭遇しません。
そして、英会話が求められる場面に遭遇すると、そうしても模範的な回答を自分に求めてしまって、満足にコミュニケーションが取れなくなるケースが多いように思われます。
たとえば、街中で外国人観光客に道を聞かれた場合。教科書で学んだフレーズがとっさに頭に浮かんでも、目下の道案内に則して表現を応用することができず、結局「分かりません」と身振りで示してコミュニケーションを諦めてしまう。そんな経験はありませんか。
文法はもちろん大事ではありますが、「伝える」ことを主眼におくコミュニケーションの中では文法的正確性なんて二の次でよいのです。べらぼうな文章でも伝わればよいのです。恥ずかしがっている場合ではありません。
また、「応用の仕方そのものに応用が足りない」という側面もあるでしょう。
日本人が最初に親しむであろう謎フレーズ「This is a pen 」も、pen をexit に変えて This is a exit. と言えれば、駅構内での道案内に使えるフレーズになるわけです。
記憶の中から「道案内フレーズ集」だけ引っかき回す考え方ではいけません、ある種の機転が利けば、日本人はもっと表現豊かな英語表現が今すぐにでも使えるはずなのです。
言葉によっても取り組み方が違うかもしれない
「日本人は英会話は苦手だが、英文の読み書きはそこそこできる」という傾向は、必ずしも他の言語で同じ状況になるというわけでもなさそうです。
私は高校時代にフランス語を第一外国語として取っていましたが、そのときの状況は英語学習とは正反対で、「文法は二の次、とにかく伝わることを重視する」ような学習の取り組み方が中心でした。
もちろん学校の指針やカリキュラムによる部分もあるでしょうが、もともとフランス語は文法的に非常に難解な言語です。文法的な正確さを気にしだすと一言も話せません。そこで、会話が必要となると、おのずと「単語の羅列でも何でもいいからとにかく言葉を発する」という姿勢になっていました。
英語はシンプルなだけに文法の基礎を把握しやすい、という利点は、つい文法にこだわってしまうという落とし穴につながっているのかもしれません。
ちなみに私はフランス留学の間、プレゼンテーションなどの口頭ベースの授業では比較的良好な評価を貰ったものの、筆記については文法の小さなミスや難解な構文が正しく読解できないといったマイナス点が目立ち、さんざんな成績でした。でも同級生との普段の会話では特に不自由なく意思疎通できるわけです。
2つの言語を同時に学ぶことのすゝめ
複数の言語を平行して学ぶことは、相乗効果が得られるメリットも多い、個人的にはオススメしたい学習法です。
特にヨーロッパ圏の近縁に位置づけられる言語は、共通点も多く、比較しながら学ぶことで理解が深まります。情報量が多くて最初のうちは大変ですが、ゆくゆくは努力以上の成果が得られます。
複数の言語を見比べると文法にこだわりすぎる意識も薄れてきます。
西洋語同士のつながりを意識して言語を選ぶ
言語学の分野には、言語の上位カテゴリーとして「語族」という大きな系統区分があります。
英語やフランス語、ドイツ語、イタリア語などに代表される西欧の諸言語は、ほぼもれなく「インド・ヨーロッパ語族」に属しています。ここからさらに「ゲルマン語派」や「イタリック語派」などに細かく区分されます。
ゲルマン語派には英語、ドイツ語、デンマーク語、スウェーデン語などが含まれます。イタリック語派には、フランス語、スペイン語、ポルトガル語、イタリア語、そしてラテン語などが含まれます。
同じ語族の同じ語派に区分される言語は、共通点・近親性が高く、どれかひとつ習得すると他も格段に習得しやすくなると言われています。(単語レベルでは語尾がちょっと違うだけで一目で意味が分かる場合も多々あります。たとえば「愛」はフランス語で amour、イタリア語ではamore、スペイン語ではamor、など。)
特に近縁に位置づけられる言語は単語だけでなく文法もよく似ていて、学習するまでもなく会話が通じることがあります。たとえばイタリア人とスペイン人は、それぞれ自国語で話しているのに会話が成立してしまったりします。
英語とドイツ語も、同じゲルマン語派の言語であり、共通点の多く見られる言語です。英語とフランス語は、語派こそ違いますが、源流を同じくするため共通点は多く見いだせます。フランス語の語彙が大量に英語に入ってきている歴史的経緯の側面もあるでしょうけれど。
言語学習のテクニックがパターン化できる
複数の言語を平行して学ぶことは、ひとつの言語を「ザ・外国語」として唯一視せず、数ある言語のうちの1つと認識できる点で大いに有益です。
これは言語のパターンを見比べてそれぞれのポイントを把握するという場面で特に効果を発揮します。
英語にも、フランス語やほかの言語にも、決まりやパターンがあります。複数の言語を比べながら学ぶと、パターンが見えやすくなるのです。
英語とフランス語を例に取ると、単語に付く接頭語(接頭辞)の意味や綴り(たとえば re- 、non-、il-)、文章の基本的な構造は「主語+述語+目的語+~」という形をとること、あるいは「関係代名詞」や「比較級」「最上級」の概念と基本的な扱い方などは共通しています。英語・仏語で多角的に捉えることで理解は意外とはかどります。
まったく同じとは言えないにしても、共通性が見いだせる要素はたくさんあります。たとえば英語における「仮定法」とフランス語における「条件法」、英語における「過去完了」とフランス語における「大過去」など。
こうした共通点の発見は、「英語の文法」「フランス語の文法」という言語それぞれに対する把握を超越した「英語のあの形と同じ雰囲気の文法」というような、より感覚的で漠然とした、しかし根本的な、いわば高次元の理解をもたらしてくれます。
この「高次元の理解」こそ、複数言語を学ぶ最大の利点であると、個人的には考えています。
ボキャブラリーは使い回せる
複数の言葉を学び、言語のパターンのようなものが分かってくると、2つめ3つめの言語の習得効率が飛躍的に向上します。
西欧諸言語の名詞などは語源が共通した単語もかなり多く、いくらか文法を踏まえておけば「その国の言葉っぽく言う」だけで案外通じたりする場合が少なくありません。
フランス語会話の中で単語が思いつかなかったとき、対応する英単語を語尾だけフランス語っぽく変えて言ってみると、かなり正解に近いらしく相手にも通じるということもあります(相手が空気を読んだ可能性もありますが)。
ドイツ語では綴りは英語のままで発音をドイツ語の規則に沿って読むと通じる場合がままあります(たとえば Organisation ―― organization)。
英語ともう一つの第二外国語を学ぶことで、第三外国語を学ぶ意欲が湧いてくることも不思議ではありません。
その第三外国語は、西欧の言語かもしれませんし、中国語や韓国語といったアジア圏の外国語かもしれません。アラビア語のような全く異質な言語かもしれません。
多くの外国語を挨拶程度でも話せるようになることは、世界各国から日本にやってくる人々との交流や自分が世界旅行に行く際のコミュニケーションのツールが増えることでもあるのです。
筆者が語学学習でしたこと
私自身は、机にかじりついて勉強するタイプではありませんでした。参考書をひもとき、単語帳で暗記し、というような勉強法はどうしても苦手で避けていました。こと言語に限っていえば、この性向はむしろ好都合だったと思います(他の教科については……
単語は文脈のかたまりごと覚える
名付けて「丸覚え作戦」
私は単語の記憶が非常に苦手で、単語帳を使った暗記が全然できませんでした。その中で見つけた学習法が、「文章全体を」「耳で聞いて」覚える、単語の意味は副産物として記憶する、というものでした。名付けて「台詞丸覚え作戦」。
私の学校では外国語で劇を演じるイベントがありました。幸運にもセリフのある役をゲットし、まずはセリフ中の単語の意味を覚えようと取り組んだわけですが、まったく成果が上がらず困りました。そのくせ、友人のセリフは単語もその意味も明確に記憶できているのです。
そのときに、自分は単語を綴りと意味とで覚える方法よりも「耳で聞いて音で覚える」方法のほうが覚えやすいのだということを自覚しました。
結局、単語の意味は無視してセリフを丸ごと暗誦できるように練習し、その結果として単語の意味もほぼ把握できました。
文章ごと覚える
ボキャブラリーの獲得は、単語をそれぞれ切り出して単独で暗記するという方法よりも、あくまで前後の文脈と絡めながらまとまりで覚えるというやり方のほうが、大きな視点で捉えると効率的なのではと考えています。
「辞書は英英辞書で引く」「英英辞書で引いたら例文を丸暗記する」というような学習法も、同じ効果が見込まれているのではないでしょうか。
この「丸覚え作戦」は今でも活用しています。たとえば英詩や洋楽、ミュージカルや映画台詞などを、まずはイメージと共にセリフ全体で暗誦できるようになる。そうすると、そこで登場する単語は、おのずと意味まで理解できるようになるのです。
丸覚え作戦は万人におすすめできる方法ではないかもしれませんが、単語の意味を視覚的イメージと共に記憶しているタイプの方にはかなりオススメできます。
単語は辞書で「発音」を重点的に把握する
丸覚え作戦は「耳から」「聴覚的に」覚える傾向を利用した覚え方といえます。同じく耳から入る学習法として併用をオススメしたいのが「辞書は発音を調べる」という方法です。
文章中で意味の分からない単語に出くわした場合は、やはり辞書を引くことになります。私も紙の辞書を愛用していました。
辞書には、単語の意味、発音記号、例文、補足説明などが記載されています。
普通は辞書で「意味」を調べるわけですが、あえて意味の確認は二の次にして、「発音記号」に着目する調べ方を提案します。
英語の綴りと発音は比較的イレギュラーなものですが、それでも大きなパターンはあります。単語を辞書で引いて発音を把握する習慣がつくと、音と綴りの傾向が理解でき、「はじめて目にした単語の(意味は分からないが)発音は察しがつく」という状態にたどり着けます。
つまり、「すぐに意味は思いつかなくても読める」単語が多くなります。
意味が分からなくても一応読めるという状態になると、意外と既知の単語と結びつきいて、意味が推察できるようになるものです。知らない単語の前後の文章と含めて全体のおおよその意味から単語の意味まで推定できるようになります。
「丸覚え作戦」の戦法に沿うなら、辞書を引いて「発音」を確認したら、次は「例文」が重要です。例文を一文そのまま覚えてしまうと。単語の意味なんて直接調べなくても分かってしまいます。
外国人へ積極的に働きかける
最後は提案内容としてはベタですが、やはり、語学学習を素早く上達させて「使える英語」を獲得するには、その言語を使った実践が必要です。
言語は人と人とのコミュニケーションを前提とします。独りでもある程度の学習はできますが、どうしても限界があります。
実際に英語を使ってコミュニケーションを図ることこそ、今も昔も変わらない最も効率的な学習方法といえるでしょう。
海外のネイティブスピーカーと直接に対面してじっくり会話できれば最高ですが、そこまで条件を整える必要はありません。インターネット上のSNSなどで知己を得て、簡単なメッセージのやり取りをしたり、外国人観光客に一声かけてみたり、日本在住の海外出身者の多く集まるイベントに参加してみたり、方法はさまざまです。
海外フレンドを探すという積極性というか度胸も、「使える英語」を話せるようになるための大切なポイントです。
最近ではオンライン英会話レッスンも安く利用できますし、言語交換(language exchange)のようなユーザー間の教え合いサービスなどもあります。英語力に自信がなくても、恥ずかしい気持ちに駆られても、英語の練習ができる機会はきっと見つかるでしょう。
「英語を」ではなく「コミュニケーション手段を」
はじめに掲げた「どうして日本人はそんなに英語を話せないのか」という問いに対する答え方は、色々とあるでしょうけれど、ひとまず言っておきたいことは「土台はけっこうできているんだけどね」という部分です。
世界には自国語で満足に学問に取り組めない国や地域もあります。文法的にゆるゆるでも全然気にしない国民性の国もあります。日本語よりもずっと英語に似ていてマスターしやすい言葉の国もあります。
そう考えると日本は英語学習のハードルが高い。その中で一定水準の読み書きはできる人がこれだけいるのだから、むしろ大したものです。
あとは、もう一歩だけ勇気を出してみる、言葉へのこだわりを一度捨てて見方を変えてみる、といったアクションで大化けできるかもしれません。
耳英語人間の個人的経験を紹介するだけの記事ではありますが、英語学習へのモチベーションや第二外国語学習への興味などに良い影響を少しでも与えることができるなら幸いです。