連載コラム「大学で学べる学問を知ろう」— 平和学をテーマに末吉先生に聞く

末吉先生

高校の授業ではあまり耳にする機会のない「平和学」。けれども、世界で起きている戦争や社会の対立、私たちの身近にある差別や分断といった問題に向き合ううえで、この学問は非常に重要になります。

帝塚山大学で国際法と平和学を教える末吉洋文先生は、学生たちとともに戦争遺跡をめぐるフィールドワークを行ったり、小学校での平和学習の教材づくりに取り組んだりと、学問と社会をつなげる実践を続けてきました。

今回は、高校生に向けて、平和学とはどんな学問なのか、どのような魅力があるか、具体的な活動や経験を交えながら語っていただきました。

国際法から平和学へ──末吉先生が取り組む学問とは?

― まず先生のご研究についてお伺いいたします。専門は「平和学」ということでよろしいでしょうか?

末吉先生:
そうですね、今は「平和学」に力を入れて授業をしていますが、もともとは「国際法」が専門です。私が帝塚山大学に来たのが20年前なんですが、ちょうどそのときに「平和学の授業もつくってくれ」と言われたのです。今でこそ平和学の授業を開講している大学は増えていますが、当時は本当に珍しくて、正直びっくりしました。

ただ、振り返ればそれがいい意味での転機だったんですよね。国際法をベースにしながら、より広い視点で平和や社会問題にアプローチするようになって、今では平和学が自分の研究や教育の中でとても大きな存在になっています。

原点は「なんで今こんなことが起きているのか?」──一枚の表紙写真が変えた進路

― では、その国際法に関心を持たれたきっかけは、どんなところにあったのでしょうか?

末吉先生:
あれは高校生の頃ですね。ちょうど1990年代の初め、旧ユーゴスラビアで内戦が起きていました。ある日タイム誌を見たら、表紙に衝撃的な写真が載っていたんですよ。痩せ細って骨と皮だけになった若者が、鉄柵の中に閉じ込められている。強制収容所の写真でした。

「えっ、今のこの時代に、こんなことが現実に起きているのか」と、ものすごい衝撃を受けました。それまで将来の進路としては、大阪体育大学に行って体育の先生になってもいいかな、なんて思っていたんです。小学校からずっとバスケットをしていたので。でもその写真を見て、「こういう世界の現実に向き合わなきゃいけない」と思うようになったんですね。

― 進路を大きく変えるほどの体験だったんですね。

末吉先生:
はい。そこから国際関係に興味を持つようになって、神戸市外国語大学の国際関係学科に進学しました。そして学部の3年生あたりから、国際法を専門的に学ぶようになったんです。そのまま修士、博士課程も進んで、ずっと国際法の研究をしてきました。

卒論、修士論文、博士論文とすべて一貫して「国連」に関する研究でした。特に私は国連の事務総長の役割に注目しました。平和と安全保障といえば、たいていは安全保障理事会が注目されがちですが、事務総長も国連憲章上、重要な権限を持っているんです。

その力が実際の国際政治の中でどう機能してきたか──歴代の事務総長の活動を追いながら分析して、博士論文にまとめました。

平和学は「身近な平和」から始まる――アサーティブ・コミュニケーションとトランセンド法の実践

― 学校の授業などで「平和」について学ぶ機会はあっても、それが自分の身近な問題として結びついていない子どもたちも多いのではと感じます。実際に自分の手で何かを作ったり、体験したりすることで、より深く理解できるのではないでしょうか?

末吉先生:
おっしゃる通りですね。ゼミでは、私が作成した教材を使って平和について学ぶ機会を設けているんですが、もうひとつ大事にしているのが「身近な平和」から考えることなんです。

たとえば、友達と喧嘩をしたときに、どうやって仲直りするのか。どんな風に話し合いをするのか。これは、実は立派な“平和”の実践です。そこで出てくるのが「アサーティブ・コミュニケーション」という考え方です。

― アサーティブ・コミュニケーション、聞いたことはありますが、どういうものなのでしょうか?

末吉先生:
簡単に言えば、「自分の意見をきちんと伝えながらも、相手の話にもちゃんと耳を傾ける」という姿勢ですね。これ、心理学の分野ではよく知られていて、いくつか専門書も出ています。面白い例だと、ドラえもんの“しずかちゃん”が好例だって紹介している本もあるんですよ!

彼女は例えば、友達に「遊ぼう」と誘われた時に、ただ「無理」って断るんじゃなくて、「ごめんね、今日はピアノのお稽古があるから行けないの。また誘ってね」って、相手に嫌な気持ちをさせずに自分の気持ちを伝える。そういうところが、とてもアサーティブだと。

― なるほど、それなら高校生でもすっと入ってきそうですね。

末吉先生:
そう思います。実際、このアサーティブな姿勢は、いじめ予防にもつながりますし、クラスの中で平和な人間関係を築く上でも非常に大切なんです。こうした考え方をベースにした授業も、平和学の中では重要な柱になっています。

さらに「トランセンド法(超越法)」という考え方も授業で扱っていまして、これはノルウェーの平和学者ヨハン・ガルトゥング博士が提唱した紛争解決のアプローチです。

― トランセンド法、具体的にはどういったものなんでしょうか?

末吉先生:
たとえば、1つのオレンジを2人の男の子が取り合っているとします。普通なら「半分こしなさい」となるでしょう。でもそれでは、どちらも満足度は50%。お互い「全部欲しい」と思っているわけですから、あまり建設的ではない。

そこで、例えば「ケーキにして分ける」とか、「種を取って一緒に木を育てて、実がたくさんなったら分ける」とか。発想を“飛ばす”ことで、両者が100%満足できるような落としどころを見つけていくのがトランセンド法です。単なる妥協ではなく、創造的な解決を目指すアプローチですね。

実際に高校生にもワークをしてもらうんです。「ジャイアンのコンサートに行きたくないのび太、どうする?」とか(笑)。自分でテーマを設定して、どう“超越”するかを考えるんです。

平和は「自分ごと」から始まる──教育に必要な視点とは?

― こうした考え方が、もっと広く社会に広がっていけば、すごく素敵な変化が起きそうですね。

末吉先生:
そうですね。でもやっぱり、今の日本の教育って、こういうコミュニケーションや共感についてあまり教えられていないんですよ。「できる子はできるけど、できない子は放っておかれる」みたいな風潮があるのは、ちょっと問題かなと思っていて。

最近では「エンパシー」という言葉が注目されていて、これがすごく大事だと感じています。シンパシーは一時的な感情の共鳴ですが、エンパシーは「相手の立場に立って考える能力」です。これは訓練で身につけられるんですよ。

― 教育の中で、その能力を育てていく必要があるということですね。

末吉先生:
まさにそうです。最近では作家のブレイディみかこさんが書かれた『僕はブルーでホワイトでちょっとイエロー』という本も話題になりましたよね。彼女の息子さんがイギリスで経験したエンパシー教育に触れて、日本の教育との違いを痛感しました。

知識をいくら積んでも、それを「行動に移す力」がなければ、意味がない。だから平和学では、こうした実践的な能力を重視しています。もっと早い段階で、つまり小中学生のうちから、こうした教育があってもいいんじゃないかなと思うんです。

「平和学」を通して出会う喜び──現場でこそ見える、学問のリアル

― 先生にとって、平和学という分野を続ける中で、どのような喜びや面白さを感じていらっしゃいますか?

末吉先生:
やっぱりフィールドワークですね。それから外部の講演や、小中学校での平和学習に呼んでいただいた時なんかは、本当にいろんな発見があります。

たとえばフィールドワークでは、実際に戦争遺跡に触れることができる。その場の空気を吸って、その土地の歴史に触れるというのは、机上の勉強では得られない感覚です。

平和学習の現場では、子どもたちが目を輝かせながら学んでくれる。その好奇心や探究の姿勢を間近で見ると、「ああ、この取り組みは意味があるな」と、逆に私の方が元気をもらえるんですよね。

もちろん、大学の授業としての平和学も大事ですが、それ以上にゼミ活動や学外での学びがあるからこそ、私自身がいちばん楽しませてもらっているかもしれません。歴史的な事実に触れ、地域の人と話し、多様な価値観に出会える。それがこの学問の面白さですね。

活動的で、好奇心を持って動ける人にこそ向いている

― 末吉ゼミには、どんな学生さんたちが多いのでしょうか?

末吉先生:
やっぱり、フィールドワークが多いので、外に出て動くのが好きな、活動的な学生が多いですね。法学部というと、教室で座学中心というイメージがあると思うんですけど、うちのゼミはちょっと“浮いている”くらい動きます!

平和学習ではゼミ生が小学生の前で授業をすることもありますし、発表も多い。だから、ちょっと人前に出るのが好きだったり、誰かに何かを伝えたいと思っているようなタイプの子に向いているかもしれません。

あと、大学を選ぶときに「どんなゼミがあるか」をちゃんと調べるのも大事だと思います。大学の偏差値だけで選んでしまうと、後から「やりたいことと違った」ってなることもあるので。自分が何をしたいか、それをサポートしてくれる先生やゼミがあるかどうかって、すごく重要です。
これからの時代は、将来や社会全体のことを考えられる視野の広さが必要だと思います。それに加えて、感度のいいアンテナを持っている人。何かに「おや?」と気づける人ですね。そういう人には、平和学ってすごく向いていると思います。

平和学は、答えが一つではありません。正解を探すのではなく、自分の問いを持って、それに向き合う姿勢が求められる学問です。だからこそ、好奇心と柔軟な感性を持った若い人たちに、どんどん飛び込んできてほしいですね。

 

末吉先生から高校生へのメッセージ

― 最後に、これから進路を考える高校生たちに、ぜひメッセージをお願いできますか?

末吉先生:
ぶっちゃけて言えば、「帝塚山大学の末吉と一緒に研究しようよ!」っていうのが本音です!平和学って、私個人の研究でもありますが、ゼミ生と一緒にやっている共同作業でもあるんです。

たとえば、奈良県の戦争遺跡をまとめた冊子も、原稿はゼミ生が書いたんです。最終的には私がチェックしますけど、ゼミ生が本気で関わってくれるからこそ形になる。こういう経験って、きっと就活でも「ガクチカ(学生時代に力を入れたこと)」として強みになると思います。

あと大事なのは、学問の魅力にちゃんと気づいてもらいたいってこと。うちの大学では平和学は法学部の中にありますが、高校生からは少し見えづらいかもしれません。でも「法学部の中に平和学がある」っていうことを知って、興味を持ってくれたら本当にうれしいです。

まとめ:平和を「自分ごと」にする学びを

帝塚山大学の末吉洋文先生が取り組む「平和学」は、単なる理念や歴史の学びにとどまりません。国際法の視点をベースにしながら、いかに現実の社会や生活に根差した形で“平和”を考え、行動に移すことができるか。その問いに応える、実践的な学問です。

印象的だったのは、子どもたちと向き合う平和学習や、ゼミ生たちと共に取り組む戦争遺跡のフィールドワーク。そして、日常の中での「仲直り」や「伝え方」にまで広がる“平和”の定義。平和は決して遠い国や過去の出来事ではなく、私たち一人ひとりの選択と関係の中にあるものだということが、先生の言葉の端々から伝わってきました。

大学進学を前に進路に悩む高校生にとっても、「今、自分に何ができるか」ではなく、「これから、どう学びながら可能性を広げていけるか」を考えるヒントに満ちたインタビューでした。

もしあなたが、知識を得るだけではなく、「行動する力」や「他者と共に生きる視点」を大切にしたいと思うのなら、末吉先生の平和学は、きっとその第一歩になるはずです。

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