英語の助動詞「may」は意味がつかみにくい単語です。辞書や参考書は「許可」や「推量」の意味と解説しますが、これが直接に訳文のイメージとなかなか結びつかないから困りものです。
英語の助動詞は非常に抽象的な語彙であり、表面的な意味を(訳語と共に)把握するだけでは、なかなか使いこなせるようになりません。もちろん、そうした学習も有益であり不可欠です。その上で「言葉の核心的ニュアンス」あるいは「コアイメージ」とでも言うべき意味合いを見出すように意識して学びましょう。
助動詞 may の中核イメージ
まずは、 may のコアイメージを理解するための大まかな手がかりを探しましょう。
中核的イメージは「邪魔されない」
英語の助動詞 may の意味は、大きく分けて《許可》《譲歩》《推量》、および《祈念》の4種類に分類できます。
それぞれの意味・用法の根底に通じるニュアンスを、あえて言葉にするなら、「邪魔されない」という表現で捉えられるかもしれません。
また、分岐路に立っている(選択肢がある)という状況も併せて想起しておくとよいでしょう。どちらへ進むかという判断を邪魔されないというイメージが具体的に描けるようになります。
may の視覚的・映像的イメージ
抽象的な語のコアイメージの把握には、視覚的な手がかりが役立ちます。たとえば分岐路に立っている図を思い描いてみましょう。
- 一本道が左右に分かれている。その分岐点に立っている。
- どちらの道にも障壁は特になく。どちらの道にも進める。
視覚的イメージも許可・譲歩・推量といった実際的な意味とは直結しません。遠回りな学習方法にも思われますが、そこは「急がば回れ」というものです。
助動詞 may のおおざっぱなニュアンス別文例集
may の中核的イメージを「邪魔されない」と設定したとして、それが許可・譲歩・推量・祈念という実際的な意味合いにどう結びつくのか、この脈絡を考えることが重要です。
「邪魔されない」という表現が今ひとつしっくり来なければ、別のキーワードを探してもよいでしょう。決して「邪魔されない」という解釈が唯一無二の正解というわけではありません。
許可を意味する may (~してもよい)
「やってもいいよ」と許可を与える用法
may の主要な意味・用法として、まずは「話者から相手に対して許可を与える」意味合いが挙げられます。
許可の用法は、話者が相手に対して「あなたは邪魔されません(may)よ」という脈絡で考えると、コアイメージのニュアンスと自然に繋がります。
ああ、練習問題が終わったんですね。そうしたらもう家に帰っていいですよ
基本的に目上の人が使う言い方
通常の文(平叙文)で許可の意味合いで may を用いる場合、話者が相手に許可を与える内容の文章になります。自ずと、話者と相手との立場関係が《話者の方が目上》という関係にほぼ限られます。
- 教師が生徒に対して述べる場合
- 親が子に対して述べる場合
目上の人や上司、ビジネス上の相手などには、「しても構いませんよ」と言いたい場面でも may 以外の語を使って表現しましょう。may で表現すると高慢な物言いに聞こえます。
「してもいいでしょうか」と許可を求める用法
許可の意味合いで may を用いる場面は、平叙文よりもむしろ疑問文の方が多いでしょう。ニュアンスとしては「邪魔されませんか?」、というよりも「差し支えありませんか」と捉えるとよいでしょう。
いくつか質問してもよいでしょうか
1日休みをとってもいいですか
お名前をうかがってもよろしいでしょうか
基本的に目上の人に向かって使う言い方
疑問文における《許可》の may は、話者が相手に許可を求める内容となり、おのずと話者が相手に対してへりくだったニュアンスが生じます。丁寧で控えめな、一種の謙譲表現として使えるため、相手が目上の人ではなくてもビジネスなどの少し改まった間柄では好まれます。
「~してもよいでしょうか」という《許可》の意味を示す助動詞としては、may の他に can も使えます。特にがっちりと区別されているわけではありませんが、may のほうが上下関係が意識されやすく、改まった場面で用いられる傾向があるようです。
《許可》の派生で《容認》のニュアンス
《許可》の意味合いは、「支障ない」「差し支えない」という《容認》に転じます。
コアイメージとのつながりで言えば、「邪魔されない」ということは、「してもよい・差し支えない」ことである、という流れで理解できるでしょう。
分岐路の画像イメージになぞらえるならば、右側の道を進んでも左側の道を進んでもよい、妨げるものはない、という感覚です。
彼のことは紳士と呼んでもいいだろう
彼女は世界一の女優と言ってもよかろう
あなたがそう言うのももっともだ
譲歩を意味する may (たとえ〜であっても)
mayには《譲歩》の用法もあります。もっぱら、文章の後半部分に否定的な内容が伴う文で用いられ、「たとえ〜であっても…(〜でない)」という趣旨を示します。
コアイメージの「邪魔されない」と手がかりにするなら、「そういう説の存在も否定しない(邪魔しない)」→「そういう説の存在をひとまず許可・容認する」→ 《譲歩》、という脈絡で繋がります。
譲歩とは「あえて否定しない」こと
通例《譲歩》と呼ばれる用法は、「仮の前提を一応認める」という程度の意味と考えた方がすんなり理解できます。「百歩譲って」という日本語表現のニュアンスが近いかもしれません。
譲歩の may で述べられた内容は、直後に否定的に扱われます。「百歩譲って前提を認めたとしても、結論は変わらない」というわけです。
あなたがどれだけ私を愛していても、私はあなたと一緒にはいられない
彼女は金持ちかもしれないが、不親切だ
彼らがなんと言おうが、私はあなたが正しいと思う
不確実な推量を意味する may (〜かもしれない)
助動詞 may の《推量》の用法は、比較的多く用いられます。現状では確かでない事柄を推し量る、その可能性の高さは五分五分、すなわち、「どちらとも言いがたい」程度の確率を示します。
分岐点に立っていてどちらの道を選択することもできる、どちらの道を進むにしても邪魔するものはない、そうしたイメージから五分五分であることの感覚がつかめるのではないでしょうか。
今日は雪が降るかもしれない
彼が試験に受かるか否か推測できない
彼女はそのクラブに入るかもしれない
祈念を意味する may (〜でありますように)
英語の助動詞 may には「~でありますように」と祈る気持ちを述べる《祈念》の用法もあります。やや形式ばった表現であり、日常で接する頻度は低めです。
コアイメージとのつながりは、「邪魔されない」→「実現が妨げられない」→「実現できる(できなくはない)」、という流れで把握できるでしょう。
祈念の may は「May+S+V」という特殊な形式を取るので、判別は容易です。また、基本的に I hope ~. の表現に置き換え可能です。
神様のご加護がありますように
あなたとご家族のご健康とご多幸をお祈りします
may の過去形 might の使い方
might は may の過去形に位置づけられる語です。ただし、助動詞としての may と might は使い分けに多少の注意が必要です。
助動詞 may は、その意味合い上、過去形(might)を必要としません。may が過去形で表現される機会がないのです。
間接話法においては、文法上の規則に従って may が過去形 might の形を取ることがあります。その他の文脈では、もっぱら婉曲的表現としての時制変化の役割で用いられます。
そうした点から、might は半ば may とは別個の助動詞として扱われる場合も少なからずあります。
間接話法では単純に may の過去形として扱える
間接話法の文中に用いられる might は、通常の時制ルールに則って may の過去形として扱えます。主文の動詞の時制に合わせて時制を変えれば事足ります。
彼女は私に、「彼が正しいかもしれない」と言った
時制の一致よりも婉曲さの表現である場合が多い
間接話法以外の文脈で might が用いられる場合、大部分は、文法的な時制というよりは時制を動かすことで丁寧さ・控えめさを表現する言い方として用いられています。
いくつか質問してよろしいでしょうか?
彼はひょっとすると彼女を愛しているのかもしれない
現在の事柄について言及する文でも、婉曲的で丁寧なニュアンスを加味する意味で過去形を用いることがあります。might の場合、遠回しな非難、遠回しの譲歩、控えめな命令、といったニュアンスでも用いられます。
might は may と同じ意味・用法を持っており、さらに may よりも一段階だけ婉曲的で丁寧なニュアンスを表現する「別種の語彙」と捉えてしまっても良いのかもしれません。
和訳にこだわらず用例に多く接するべし
ネイティブスピーカー並みの英語力を目指すなら、英語はあくまでも英語のまま理解して思考するという感覚を身につける必要があります。
従来の学校英語のやり方は、もちろん決して無駄ではありませんが、そのやり方のままでは英語がペラペラになるという境地にはなかなか到達できません。
英語を英語の感覚で理解するには、多くの英文に接してボンヤリとした意味をつかんでいく他ありません。コアイメージを外堀から埋めていくわけです。これは実際のところ、母国語を身につけるプロセスと同様です。
コアイメージを把握する学習方法は一朝一夕には成し遂げられません。地道な取り組みが必要です。ちょっと身についた実感が得られてきたらしめたものです。そこからはグッと学習効率が向上するでしょう。