英語の助動詞 should は幅広い意味合いで用いられます。義務・推量・万一・用心・意外性という、互いに関係なさそうに見える意味の広がり。ちゃんと納得して使いこなせるようになるには、should の語の根本にある抽象的なイメージを自分なりに理解する必要があります。
素朴に訳語と対応づけて「should = べき」と理解する方法では、英語の独特の言語感覚がつかめません。やはり、語彙の根幹・中核にある抽象的なイメージを感覚でとらえていく試みが欠かせません。
英語の助動詞の理解は「コアイメージ」をつかむことが重要です。助動詞に限らず、言葉のイメージを意識しながら学習を進めると、言語感覚が洗練されていく実感が得られます。
目次
助動詞 should のコアイメージは「達成されるべきことが未達」ということ
英語の助動詞 should は、おおまかに言って《義務》《推量》《万一》《用心》《意外性》のように区分できます。
それぞれの区分に通底している根本的なイメージを、あえて言葉で表現するなら、「達成されて当然なことがまだ達成されていない」と表現できるかもしれません。
もちろんこれは解釈の試みの一つに過ぎないという点をお忘れなく。
助動詞 should は、助動詞 shall の過去形でもあります。もはや両者は別個の助動詞として理解した方がよい別モノですが、根源的には should は shall に根ざした語です。
「神・天命に対して背負っている」
英語の助動詞 shall には「当然」や「義務」の意味合いがあります。つまり「何かを負っている」というイメージが中核にあります。
shall の語が示す「義務」は、根本的には「神」から授かったものと解釈してよいでしょう。あるいは、天命や運命のようなものと考えてもよいかも知れません。
つまり、助動詞 shall は「天から授かった義務を負っている」というニュアンスを根底に持っているというイメージで把握できます。あくまでおおざっぱな把握ではありますが。
「背負っているのに現実にはそれが果たされていない」
また英語では、 may を might 、 can を could という過去形にすると意味が控えめになりますが、この根本には「時制を移動させることで現実に起こっていることとの距離を表す」という、「時制の移動」の持つ性質があります。
shall と should の間にも同じ関係があります。 shall の意味は「(神・天命に対して)何かを負うている」という意味ですが、 should という過去形にすると現実との距離が出て「(神・天命に対して)何かを負うている、なのに現実にはその負うたことが果たされていない」という意味に転化します。
ここから should には、「(客観的に見て)達成されて当然なことがまだ達成されていない」というコアニュアンスが出てくることになるのです。
助動詞 should のニュアンスの大きな区分
should の用例は多く、パッとは把握しづらいものもありますが、仮におおまかに分類してみるとわかりやすくなります。
たとえば、話者が文の動詞に対して「するべきだ」と思っている場合と「するべきでない」と思っている場合で大きく分け、そのニュアンスごとに捉えてみましょう。
この分類はコアイメージを捉える試みの上での便宜的な分け方であり、正解とも言い切れませんし、ましてや唯一の考え方というわけでもありません。
自分なりの理解の仕方でスッと腑に落ちれば、それが当人にとっての「正解」です。
話者がそのことの達成を強く望む場合
動詞で表現された事柄の達成・成就について話者が積極的な姿勢を示している場合の用法、どちらかといえば「達成されるべきだ」という感覚を持っている場合。
義務(〜すべきだ)、推量(〜するはずだ)の意味合いの用法が「達成を強く望む場合」に区分できます。
この意味合いは should および shall の根本のニュアンスに比較的近く、それだけに should の主要な用法として多く用いられます。
話者がそのことの達成を望んでいない場合
動詞で表現された事柄の達成・成就について、どちらかといえば消極的な姿勢を話者が示している、と解釈できる用法もあります。
万一(万一〜なら)、用心(〜しないように)、意外性(〜するとは)などは消極的姿勢のニュアンスで捉えられる意味合いといえます。いずれも「達成されるべきでない」というニュアンス寄りです。
消極的ニュアンス寄りの用法は、should の中核イメージよりはむしろ末端のイメージに近いものがあります。ニュアンスは特殊ですが、構文が特徴的だったり使用場面が限られていたりすることも多いので見分けやすくもあります。
助動詞 should の意味別の考え方と用例集
義務(〜すべきだ)
義務の用法は「話者が達成を強く望む」ニュアンスを含む用法です。
中核イメージからの脈絡としては「達成されて当然なことがまだ達成されていない→達成すべきだ」という形で捉えられるでしょう。
あなたは古典文学を読むべき
両親を敬いなさい
彼は私に煙草をやめるようアドバイスした
私はあのとき電話をかけるべきだったのだ
推量(〜するはずだ)
推量の用法も「話者が達成を強く望む」ニュアンスを含む用法です。
推量の用法は、何らかの状況説明の文と共に should が用いられた場合に特に生じます。「達成されて当然のこと → だから達成されるはずだ」という脈絡で考えてみると腑に落ちやすいでしょう。
見た目からすると彼は40歳かそこらのはずだ
彼女は午後4時までには目的地に着くはずだ
have +過去分詞と共に使われた場合、完了したことについての推量(もう〜したはずだ)というニュアンスになります。
トムは昨日早くに出発したから、もう台北空港に着いたはずだ
推量の助動詞の強さ比較
推量の意味合いで用いられる助動詞は複数あります。may、must などが該当します。
should と may、must を「可能性の高さ」という観点で比較すると、おおむね must > should > may のような関係と捉えられます。
must は「~に違いない」という半ば確信に近い推量です。
may は是非それぞれ五分五分といったところ。
should は must と may の中間程度、確度はどちらかと言えば高いものの確信には至らない「そのはずだ」程度のニュアンスです。
万一(万一〜なら)
「万一」を示す用法は、話者がそのことの達成を望んでいない場合に区分できる用法です。
もし万が一、という意味合いで should が用いられる場合は If から始まる条件節が用いられます。「達成されてほしくはない→だけどもし達成されるという運命にあるなら→ 万一〜なら」というふうに考えると、コアニュアンスからの筋道を理解しやすくなります。
「万一」の用法の should が使われる条件節の中では、悪い天気やトラブルなど、どちらかというと良くないことが描かれます。
万一雪が降ったら、彼らは来ないだろう
もし問題があった場合はお気兼ねなく私をお呼びください
If を省略して should の位置を転倒させるとやや文語的な用法になります。
もし必要だと思ったら、いつでも彼に電話してください
用心(〜しないように)
用心のニュアンスも、話者がそのことの達成を望んでいない場合に該当します。
should が用心の意味合いを帯びる文章は、もっぱら for fear 、 so that 〜not 、 lest といった構文です。使用場面がかなり限られるので、構文パターンを押さえておけば意味合いの区別は容易です。
コアイメージからの意味のつながりは「達成されてほしくはない→だから達成されないように→〜しないように」と考えると納得しやすいでしょう。
彼は彼が泣かないようにと彼女に本当のことを言わなかった
雨が降ったときのために傘を持っていってください
so that 〜not の構文では、 not の使い方に注意しましょう。 for fear 、 lest とは違った使い方になります。
彼は両親を悲しませないようにととても熱心に勉強した
意外性(〜するとは)
意外性を示す用法も、話者がそのことの達成を望んでいない場合に区分できるでしょう。
should が意外性の意味で用いられる場合は It is 構文に導かれる that 節の中で用いられます。「誰々が何々するとは〜(感情)だ」という形の文章になります。これも比較的見分けやすい構文だと言えるでしょう。
「達成されるとは心外→だが達成されるべき運命にあったとは→〜するとは」という脈絡で解釈しましょう。
彼女がそんなことをするとは悲しい
彼がそんなことを言うとは面白い
あなたが経済学についてそんなに知っているとは驚きです
shallの過去形としての用法
助動詞 should は、単に助動詞 shall が時制変化した過去形として用いられる場合もあります。
shall の過去形としての should は、基本的に「推量」の意味合いで用いられると言ってしまってよいでしょう。そして、もっぱら that 節や if 節などの構文で使われます。区別は比較的容易です。
彼はすべてが良くなるだろうと思った
彼女は彼に、「あなたは自分のしたことをきっと後悔するよ」と言った
トムは私に、お手伝いしましょうか、と尋ねた
地道な積み重ねを、楽しみましょう
言葉のイメージは人それぞれです。
名詞や動詞なんかは視覚的に表現しやすいので、具体的イメージも比較的容易に示せるのですが、助動詞のイメージは視覚的にも言語的にも表現しにくい、きわめて抽象的な代物です。
言葉で表現できないものをあえて言葉で表現することは、ある意味で暴挙ではありますが、考え方の手がかりにはできるでしょう。
本質的には個々人が自分自身の感覚でイメージをつかみ取るしかありません。
抽象的なイメージをモノにするために大切なことは、多くの英文に接し、表面的な意味の多様さを把握して、外堀を埋めるように中核的イメージに近接していくという姿勢です。
これは英語学習に限らず、言葉を知るための普遍的な方法といえます。時間も手間もかかりますが、本物の言語感覚を獲得するためには不可避の営みです。
でも、これが、中々どうして、少し実感が湧いてくると意外と楽しくなってくるものです。「言葉を詮索する喜び」を見出せると、きっと語学力はぐんと伸びるはずです。だまされたと思って実践してみてください。お勧めです。